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山口県観光 五重塔 瑠璃光寺

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山口・曹洞宗保寧山 瑠璃光寺(るりこうじ )

日本三名塔のひとつ瑠璃光寺五重塔のあるお寺
 


 

瑠璃光寺

曹洞宗保寧山

所在地   : 山口県山口市香山町

本山は、福井の永平寺と横浜市鶴見の総持寺

本尊は、薬師如来(瑠璃光如来)

本堂・境内にいろいろなおもしろいものなどがまつられている。

1.本堂入口右 鬢頭盧尊者(びんずるそんじゃ)=なで佛
この佛様は自分の体の悪い所と同じ所を撫でると病気が治るという佛

2.本堂正面右側 一畑薬師山口分院=本山は出雲の一畑寺
眼病の仏様として信仰されている。毎月8日は縁日

3.本堂右側の参道上 金毘羅様
薬師如来の眷属に十二神将という仏法をお護りする神様がおられる。
その筆頭に梵語でクンピーラという神様がおられる。クンピーラは鰐の化身で、鰐は水に住むということから、水難、海難を避け大内時代より四国金毘羅様の分院としてまつられ航海安全・交通安全の神様として信仰されている。

4.本堂右 長寿薬師如来

5.山門内 慈母観音

6.本堂正面階段上り口左 身代わり地蔵
悪い因縁・病気・縁談・不幸に対して、御身体を3つに切って身代わりになって下さるというお地蔵様。

7.佛足石
お釈迦様の仏像が出来る前は、佛足石が礼拝の対象でした。

8.本堂正面左右 県下一大きいすりこ木と杓子
仏様は我が身をすり減らしも、お救い下さるということから、すりこ木と杓子が置かれている。

9.本堂正面左右 知足のつくばい(手水鉢・ちょうずばし)
つくばいの四方の字と真中の口を結んで字を考えると「吾唯足知」わらただたるをしるこの言葉はお経の中にある言葉で、今の自分はこれ以上我欲を求めてはいけない 




陶弘房(6代)の菩提寺

陶弘房は、大内氏第一の重臣

応仁2年(1468)応仁の乱
陶弘房は、京都の相国寺で戦死したので、その夫人「妙栄大姉」が夫の菩提をともらうため、弘房念持佛の薬師如来をもって、本尊として、山口の仁保に文明3年(1471)瑠璃光寺を建立した。



<瑠璃光寺の沿革>

開山は、石屋門派の知識大庵須益和尚

中国三山の一つと言われ、江戸末期まで、僧禄司(そうろくす)の要職を務め、常恒会16寺の中に入る格式を与えられていた。

1586年(天正14)毛利元就(もうりもとなり)次男の吉川元春(岩国城主)が、小倉で死んだ時、瑠璃光寺11代華翁和尚が、その導師となり寺を霊碑所として「随浪院殿海翁正恵大居士」の法号により、海翁寺とした。

当時300余の末寺があったため、のち藩の了承を得て、瑠璃光寺に複合した。

寺紋は、吉川氏の意向により、定紋九曜紋に改めらた。

九州における布教活動は3世から始まり、特に15世中華桂法大和尚は、島原の乱の後、幕府の承認を得て、東向寺を建て、天草全土を布教したと言われている。

現在、末寺山口県内22寺、県外11寺


 


瑠璃光寺、五重塔一帯は公園として整備されている。
香山公園  うぐいす張りの石畳や明治維新のこと薩長の志士達が密談した・・・・・・・

 

専業主婦40年70歳から取材14年、89歳で出版された「瑠璃光寺五重塔」の小説
見残しの塔―周防国五重塔縁起
(文春文庫)

久木 綾子
4167801671

 

 

日本三名塔


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